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起こったことという現実

「少年A」この子を生んで……―父と母悔恨の手記 (文春文庫)
我が子への愛情を持つ両親が公になることを前提に書いたものであるから、当然自分たちの全てをさらけ出しているわけではないと思うが、これが現実ではないだろうか。どんな親であれ、自分の子供が殺人事件の加害者になったという事実に冷静に対応などできはしまいし、その部分のみを責めて親の教育の問題へとつなげるのは短絡的過ぎる。

被害者の父親による手記「淳 (新潮文庫)」を読むと、この両親が世間の基準でいう「まともな親」だったかどうか疑問であるし、親に同情する気持ちは起こらないが、積極的に我が子を殺人や異常性欲に興味を持つように教育したのでも無い限り、どこまで親の責任を問うものか考えさせられる。

どんな親も完璧な教育をすることはできないし、全く自由放任に育てても立派に育つ子供もいる。同じに育った加害者の兄弟が同じく殺人を犯しているわけでもない。「うちの子にかぎって」という言葉が昔流行ったが、親はどこまで子について理解できるのか?親とは子にとって何か?親の責任とは何か?について考えてみるきっかけとなる書だ。
引用元:起こったことという現実
「少年A」この子を生んで……―父と母悔恨の手記 (文春文庫)
テレビドラマの「アイシテル 海容」を見て、この事件をあらためて知りたくなり読みました。
当事者が書いたものは、やはり違います。
出版するにあたり、少しでも同情や許しを得たいという気持ちもあるでしょうから、それなりに考えて書いただろうと思います。でも、隠そうとしてもやはり核の部分は現れてしまっているのではないでしょうか。
私が一番強く感じたのは、母親の自己愛、子供ではなく理想の家庭、母親像ばかり気にしていたのではないかということです。少年に対する母親の言動は一方通行でキャッチボールがなされていません。しようともしていません。例えば、手記の中、自分の言葉はしっかり覚えているのに、その時の少年の返事や表情は覚えていないことが多過ぎだと思います。少年から何らかのサインが出ていたと見て取れるのですが、書いている本人がまったく気付かず自分の都合のいいように解釈しています。
また、しきりに「厳しくしていない、勉強できなくても普通の子であればいい、本人の気持ちを優先してきた」と書いているのですが、「Aには期待していない、というより、Aは普通の子より出来が悪いからすでにあきらめている」という気持ちが見え隠れしており、おそらく表面にもでていたのだろう、と推測できます。
一番ぎょっとしたのは母の日のくだり最後で、子供達はこんなことをしてくれました、という微笑ましいエピソードかと思いきや、

〜母の日には、息子三人が肩凝り性の私の肩や手足をよくマッサージしてくれました。
 「明日は母の日やで。」
 あまり早めに言うと三人ともすぐ忘れてしまうので、私は「母の日」の前日に、
 Aや息子たちによく催促したものでした。〜

という部分です。さらりと書かれてますが、違和感ありませんか?

犯行は絶対に理解できないし許せませんが、困ったことにこの本を読んでAに対する同情心がうまれてしまいました。
一方的ではいけないので、被害者家族の手記も読むつもりです。

最後に、母親は精神鑑定の結果が理解できないようでしたが、私は納得できました。
この事件の原因の一部がわかったような気がします。


引用元:

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