真奈美の忍びの情報発信Top > 

不快な歴史をひもとく労作

魔女狩り (岩波新書)
 魔女狩りは終わっていない。カレーに毒を入れたという証拠がないのに、毒を入れていないという証拠がないだけで死刑にされてしまう社会を生きるわれわれは、中世の魔女裁判を笑うことができるだろうか。対象が異人から罪人へと移っただけで、現代においても処罰への欲求は変わっていない。
 本書は13世紀から17世紀にかけてキリスト教社会を吹き荒れ、30万人以上もの犠牲者を出した魔女旋風を分かりやすくまとめた解説書である。魔女は古くからいたが、悪い魔女と善い魔女がいて、それまでは後者が罰せられることはなかったこと、異端審問の対象が減ったために没収財産獲得の目的で魔女がターゲットにされたこと、魔女は女性とは限らず、結局は政治の道具でしかなかったこと等々、魔女狩りに関するあまり知られていない基礎知識を豊富な資料に基づいて教えてくれる。合理主義とヒューマニズムに彩られたルネサンスの最盛期、地動説や万有引力など天文学上の発見が相次いだ科学の時代に、ほかならぬ彼ら知識人を含む上流階級社会において、このような血塗られた歴史が刻まれていたことは驚嘆に値する。
 拷問中の犠牲者の肉声の記録や、犠牲者が家族に宛てた手紙等は読むに忍びないものがあるが、著者の穏やかな語り口には救われる思いがする。四十年近く前に書かれたにもかかわらず、数多い類書に埋もれることなく版を重ねている理由もそこにあるのだろう。不快な歴史を語りながらも読者を決して不快にさせない名著である。
引用元:不快な歴史をひもとく労作
魔女狩り (岩波新書)
 魔女とは何者なのか?そんな途方もなく困難な問いに、真正面から取り組もうとされている意欲作です。第一、魔女という定義からして不明確で魔法使いや異端と、どのように違うのか判然としないところがあるのですが、私の一読する限り、著者も厳格な定義はなされていません。しかし、はっきり言って本書では、魔女かどうあったかなどはどうでも良いことなのかもしれません。本書が迫るのはそんな魔女側の事情からではなく、むしろそれを告発する社会の側からなのですから。誰が、どのように、どんな状況で魔女とされ、どのように裁かれていったかという個々の事例は、魔女を必要とした人の世の暗部を嫌というほど痛感させてくれます。人は自分の知らないこと、理解できないことに出会うと無理矢理自分の知っている体系にはめ込もうとする癖があるようで、聞いたこともない不思議な力や理不尽で不可解な困難に出会うとそれを自分の知っている「悪」に変えて行くのです。本書に例示される多くの事実は雄弁に語ります。早く誰かを魔女にしないと自分が危ないというある都市の判事の悲鳴を聞くにつけ、魔女という幻想がどこのあたりに根を持つのかが見えてくるような気がします。
 これらの著者の理解は、今までの魔女理解、つまり宗教的な熱狂、国家権力の強化、女狩りなどとは軸を異にしたものです。それらは複合的に絡み合う魔女という存在のひとつの面に過ぎず、その中心には人間の文化があると言うのです。魔女の撲滅には科学革命より宗教改革のほうが役立ったという言葉は皮肉にも真理を突いているように思います。魔女の消滅は、所詮新しい魔女への移行に過ぎないのかもしれません。合理的な理由で人が殺され、科学という魔法が猛威を振るう現代は、未だに迷信渦巻く中世なのかもしれません。本書が試みる近代への懐疑には学ぶべきことが多いように感じました。
引用元:

関連エントリー

真奈美の忍びの情報発信Top > 

お気に入り

カテゴリー