加害者の子供も、実は被害者
![]() | アイシテル~海容 前編 (1) (KCデラックス) |
神戸の事件がモデルとなったと思われるが、少年Aの母親の「この子を産んで」や、Aの内面をえぐった「酒鬼薔薇聖斗の告白」などと異なり、被害者の視点を交えて、両者の接点を探っていることが斬新で、深みを与えている。
子供である加害者も実は愛に飢えた被害者なのだという、人間の根源から訴える弱さや悲しさが感動を呼ぶ。
引用元:加害者の子供も、実は被害者
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我が子への愛情を持つ両親が公になることを前提に書いたものであるから、当然自分たちの全てをさらけ出しているわけではないと思うが、これが現実ではないだろうか。どんな親であれ、自分の子供が殺人事件の加害者になったという事実に冷静に対応などできはしまいし、その部分のみを責めて親の教育の問題へとつなげるのは短絡的過ぎる。
被害者の父親による手記「淳 (新潮文庫)」を読むと、この両親が世間の基準でいう「まともな親」だったかどうか疑問であるし、親に同情する気持ちは起こらないが、積極的に我が子を殺人や異常性欲に興味を持つように教育したのでも無い限り、どこまで親の責任を問うものか考えさせられる。
どんな親も完璧な教育をすることはできないし、全く自由放任に育てても立派に育つ子供もいる。同じに育った加害者の兄弟が同じく殺人を犯しているわけでもない。「うちの子にかぎって」という言葉が昔流行ったが、親はどこまで子について理解できるのか?親とは子にとって何か?親の責任とは何か?について考えてみるきっかけとなる書だ。
引用元:
被害者の父親による手記「淳 (新潮文庫)」を読むと、この両親が世間の基準でいう「まともな親」だったかどうか疑問であるし、親に同情する気持ちは起こらないが、積極的に我が子を殺人や異常性欲に興味を持つように教育したのでも無い限り、どこまで親の責任を問うものか考えさせられる。
どんな親も完璧な教育をすることはできないし、全く自由放任に育てても立派に育つ子供もいる。同じに育った加害者の兄弟が同じく殺人を犯しているわけでもない。「うちの子にかぎって」という言葉が昔流行ったが、親はどこまで子について理解できるのか?親とは子にとって何か?親の責任とは何か?について考えてみるきっかけとなる書だ。
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