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「ヒューマニズムと実証主義のルネッサンス時代は、一方では残虐と迷信の時代であった」

魔女狩り (岩波新書)
中世キリスト教国の異端審問の歴史における「魔女裁判」について記述されている。「世界国家」統轄のために作った異端審問制度により、いつしか魔女は異端者であるものとされ、「魔女裁判」にて残虐な拷問・処刑を執行されるまでになった。衝撃的だったのは、「ヒューマニズムと実証主義のルネッサンス時代は、一方では残虐と迷信の時代であった」との記述である。ルネッサンス時代は近代科学の始まりであり、多くの著名な科学者がいるが、彼らまでもが「魔女裁判」肯定派であったとは信じがたいことであった。また、1)知識はその所有者次第で最高の悪徳となる、2)狂信と政治が結びついたときの恐ろしさを認識すべし、3)科学の敵は宗教でなく神学的ドグマである を歴史的教訓として理解できたことはよかったと思う。

引用元:「ヒューマニズムと実証主義のルネッサンス時代は、一方では残虐と迷信の時代であった」
魔女狩り (岩波新書)
 魔女とは何者なのか?そんな途方もなく困難な問いに、真正面から取り組もうとされている意欲作です。第一、魔女という定義からして不明確で魔法使いや異端と、どのように違うのか判然としないところがあるのですが、私の一読する限り、著者も厳格な定義はなされていません。しかし、はっきり言って本書では、魔女かどうあったかなどはどうでも良いことなのかもしれません。本書が迫るのはそんな魔女側の事情からではなく、むしろそれを告発する社会の側からなのですから。誰が、どのように、どんな状況で魔女とされ、どのように裁かれていったかという個々の事例は、魔女を必要とした人の世の暗部を嫌というほど痛感させてくれます。人は自分の知らないこと、理解できないことに出会うと無理矢理自分の知っている体系にはめ込もうとする癖があるようで、聞いたこともない不思議な力や理不尽で不可解な困難に出会うとそれを自分の知っている「悪」に変えて行くのです。本書に例示される多くの事実は雄弁に語ります。早く誰かを魔女にしないと自分が危ないというある都市の判事の悲鳴を聞くにつけ、魔女という幻想がどこのあたりに根を持つのかが見えてくるような気がします。
 これらの著者の理解は、今までの魔女理解、つまり宗教的な熱狂、国家権力の強化、女狩りなどとは軸を異にしたものです。それらは複合的に絡み合う魔女という存在のひとつの面に過ぎず、その中心には人間の文化があると言うのです。魔女の撲滅には科学革命より宗教改革のほうが役立ったという言葉は皮肉にも真理を突いているように思います。魔女の消滅は、所詮新しい魔女への移行に過ぎないのかもしれません。合理的な理由で人が殺され、科学という魔法が猛威を振るう現代は、未だに迷信渦巻く中世なのかもしれません。本書が試みる近代への懐疑には学ぶべきことが多いように感じました。
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