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恥の文化再考

羞恥心はどこへ消えた? (光文社新書)
この本を読んで得たことはルース・ベネディクト「菊と刀」に関して知識を深めることができた点であった。そもそもルース・ベネディクトが女性であることをはじめて知った。要するに「菊と刀」というタイトル以外は何も知らなかったのである(恥ずかしながら)。その中では日本は恥の文化であり欧米は罪の文化であるということが主張されているらしい。その二項対立的に日本を一定のパターンにはめ込む考え方を批判する人々も多いということを知れたことが一番の収穫であった。はたしてベネディクトは新概念を研究したのか、それとも日本を欧米流に分析したにすぎないのか、専門外の私にはまったく分からない。
引用元:恥の文化再考
羞恥心はどこへ消えた? (光文社新書)
まず、あの有名な白木屋ズロース伝説が全くの出鱈目であるという出だしに驚き。
洋装が導入されるまで日本の女性はほとんど下着らしい下着を着けていなかったことや女性もたち小便をしていた時代があったと言うことは知識として知っていた。しかし、そんな時代はほんの数十年であったことにも驚き。

また、隠されるからこそ羞恥心を感じるという過程も面白い。開けっぴろげな時代には陰部に過大な関心を持つことはない。ズロースと呼ばれていた時代、隠すものでなかった下着にも隠微な魅力は存在しなかった。隠される陰部、そして陰部を隠す下着。隠されたものへの興味と隠されるものへの羞恥心。下着の呼称がズロースからパンティへと移り変わるとともに隠すべき存在へと転化していく過程は純粋に興味深い事例である。さらに近年下着が見せるものになるにつれかえって見ても楽しくないものになってしまっている時代、この著者の解き明かした羞恥心の行く先はどこになったのだろうか。


著者はこの本で自分の一人前の風俗史家と自負をもてるようになったとのこと。
パンツを巡る羞恥心の歴史を同時代の新聞雑誌の記事から小説の記述に至るまで広く漁り、これまでの常識を覆すようなパンツを巡る近代史を描き出した著者の労力と筆力には感服である。現在の知識や見識から過去を測るのではなく、同時代の人々の目を意識した著作は学者としての力量の確かさを余すところなく示している。
さらに興味本位、生涯一好事家という意気込みがこの著作を支えている。対象に対する愛情のなせる技である。対象が対象だけに開き直りとも言えなくもないが、これくらいの度胸が学者にも必要と言うことだろう。
引用元:

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