著者の戦争に対する思いは「私は貝になりたい」という言葉に凝縮されている・・・
![]() | 私は貝になりたい―あるBC級戦犯の叫び |
まず、そもそも原題が「狂える戦犯死刑囚」だったということ。そして、著者は「全部がフィクションととってもらっては困る」とはじめに記しているものの、一応は手記の形式をとるフィクションの体裁をとっていること(当然自身の経験をもとにしたものだが)。初稿では「貝になりたい」ではなく「カキになりたい」だったこと。更にはテレビドラマの著作権を巡り、著者を原告とする訴訟が提起されたいたことなどである。
著作権紛争の経過資料として主に訴訟資料が掲載されているのだが、それを読むと、悪く言えば偏執的な性情も見え隠れしているのだが、それ以上に著者のこの作品に対する並々ならぬ想いが伝わってくる。
この本は約260ページなのだが、「狂える戦犯死刑囚」という作品自体は20ページ足らずの短さである。ほかは、著者の家族宛手紙や戦争に関する論文、そして前述の訴訟関係資料が大部分を占めている。だから、全体的なまとまりには欠ける。著者の左寄りの思想に共鳴できない部分もある。
しかし、戦争犯罪人として一方的に連合国(=アメリカ)に死刑を宣告され、生還した著者の記す言葉、綴る文章はあまりにも重たい。
戦争に負けて戦勝国によって裁かれるということはどういうことか、そして、B.C級戦犯とは一体何なのか。この本によって考えさせられることは多い。
引用元:著者の戦争に対する思いは「私は貝になりたい」という言葉に凝縮されている・・・
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「私は貝になりたい」という言葉の意味。そして、昭和30年代には、この作品をもとにしたテレビ・ドラマ(主演フランキー堺)が制作されていたということくらいしか知らなかったので、驚きの連続だった。
まず、そもそも原題が「狂える戦犯死刑囚」だったということ。そして、著者は「全部がフィクションととってもらっては困る」とはじめに記しているものの、一応は手記の形式をとるフィクションの体裁をとっていること(当然自身の経験をもとにしたものだが)。初稿では「貝になりたい」ではなく「カキになりたい」だったこと。更にはテレビドラマの著作権を巡り、著者を原告とする訴訟が提起されたいたことなどである。
著作権紛争の経過資料として主に訴訟資料が掲載されているのだが、それを読むと、悪く言えば偏執的な性情も見え隠れしているのだが、それ以上に著者のこの作品に対する並々ならぬ想いが伝わってくる。
この本は約260ページなのだが、「狂える戦犯死刑囚」という作品自体は20ページ足らずの短さである。ほかは、著者の家族宛手紙や戦争に関する論文、そして前述の訴訟関係資料が大部分を占めている。だから、全体的なまとまりには欠ける。著者の左寄りの思想に共鳴できない部分もある。
しかし、戦争犯罪人として一方的に連合国(=アメリカ)に死刑を宣告され、生還した著者の記す言葉、綴る文章はあまりにも重たい。
戦争に負けて戦勝国によって裁かれるということはどういうことか、そして、B.C級戦犯とは一体何なのか。この本によって考えさせられることは多い。
引用元:
まず、そもそも原題が「狂える戦犯死刑囚」だったということ。そして、著者は「全部がフィクションととってもらっては困る」とはじめに記しているものの、一応は手記の形式をとるフィクションの体裁をとっていること(当然自身の経験をもとにしたものだが)。初稿では「貝になりたい」ではなく「カキになりたい」だったこと。更にはテレビドラマの著作権を巡り、著者を原告とする訴訟が提起されたいたことなどである。
著作権紛争の経過資料として主に訴訟資料が掲載されているのだが、それを読むと、悪く言えば偏執的な性情も見え隠れしているのだが、それ以上に著者のこの作品に対する並々ならぬ想いが伝わってくる。
この本は約260ページなのだが、「狂える戦犯死刑囚」という作品自体は20ページ足らずの短さである。ほかは、著者の家族宛手紙や戦争に関する論文、そして前述の訴訟関係資料が大部分を占めている。だから、全体的なまとまりには欠ける。著者の左寄りの思想に共鳴できない部分もある。
しかし、戦争犯罪人として一方的に連合国(=アメリカ)に死刑を宣告され、生還した著者の記す言葉、綴る文章はあまりにも重たい。
戦争に負けて戦勝国によって裁かれるということはどういうことか、そして、B.C級戦犯とは一体何なのか。この本によって考えさせられることは多い。
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