なぜ我々はかくも女性を憎み愛するのか?
![]() | 魔女と聖女―ヨーロッパ中・近世の女たち (講談社現代新書) |
なぜ女性は魔性でもあり聖性でもありうるのか?
この両極端に引き裂かれる客体としての女性性の謎を
本書は宗教的コンテキストから解き明かす。
キリスト教におけるイヴ(=アダムをだました罪人)と
マリア(=処女であり聖母)という両性が
中世における女性のイメージに大きな影響を与えたのだ。
しかし宗教の束縛が緩まった現在でもなお
女性は憎まれ、かつ愛される。
それは中、近世の宗教的原因と一緒くたにできるのだろうか?
私は何か先天的なものがあるような気がしてならない。
それはともかく
歴史上、女性がどのようにあつかわれ、どのようにふるまってきたか。
事細かに書かれていてフェミニズムの入門書として
大いに役立つと思う。 必読!!
引用元:なぜ我々はかくも女性を憎み愛するのか?
![]() | 魔女と聖女―ヨーロッパ中・近世の女たち (講談社現代新書) |
「魔女狩り」は今でも「本筋を離れたあらさがし」が度を過ぎたときの比喩として使われます。本書はそもそもの「魔女」とは「魔女狩り」とは何だったのか?という問いにきちんと答えてくれる良書です。
本書で解き明かされる「魔女」本来の姿はは私たちが抱きがちなイメージとは大分かけはなれています。
魔女裁判で魔女を処刑するということが中世末期の16世紀になって初めて現れることで、中世ヨーロッパの大部分の時期には、「魔術師」や民間のまじないはあったものの、「魔女」はいなかったというのです。
では「魔術師」とはどういう人かというと、「神の名においてラテン語の呪文を唱えて悪魔を使役する人」であって、宮廷に仕えた体制側の人たちで、高度な学識を必要とした聖職者だったというのです。
ところが、中世末期になると悪魔と契約を交わすことにより手まねひとつで呪術をおこなう「魔女」という概念が誕生しました。さらには悪魔崇拝の集会であるサバト概念の発明により「誰々がサバトへ出席するのを見た」という周囲の証言だけで被告を処刑台へ送れるようになり、魔女裁判の被害が拡大しました。
このような魔女裁判の嵐が吹き荒れた原因には、体制側のキリスト教会の意思というよりも、キリスト教以前の自然崇拝に由来する土着の民間信仰がずっと生き残っていたためと言います。
著者はそういった告発者になった民衆たちにやや冷たい目線を投げかけていますが、中世ヨーロッパにおいては死が今よりもずっと身近にあったのです。高橋友子「母と子ども」(『中世ヨーロッパを生きる』所収)によると、当時の女性は17歳で結婚して、37歳までの間に平均して7〜10回の出産を経験し、生まれた子どものうち約45%が成人まで生き延びなかったということです。
魔女幻想は民間信仰や文化の問題であると共に身体感覚に密着した問題として見てもいいのではないか?というのが私の感想です。
引用元:
本書で解き明かされる「魔女」本来の姿はは私たちが抱きがちなイメージとは大分かけはなれています。
魔女裁判で魔女を処刑するということが中世末期の16世紀になって初めて現れることで、中世ヨーロッパの大部分の時期には、「魔術師」や民間のまじないはあったものの、「魔女」はいなかったというのです。
では「魔術師」とはどういう人かというと、「神の名においてラテン語の呪文を唱えて悪魔を使役する人」であって、宮廷に仕えた体制側の人たちで、高度な学識を必要とした聖職者だったというのです。
ところが、中世末期になると悪魔と契約を交わすことにより手まねひとつで呪術をおこなう「魔女」という概念が誕生しました。さらには悪魔崇拝の集会であるサバト概念の発明により「誰々がサバトへ出席するのを見た」という周囲の証言だけで被告を処刑台へ送れるようになり、魔女裁判の被害が拡大しました。
このような魔女裁判の嵐が吹き荒れた原因には、体制側のキリスト教会の意思というよりも、キリスト教以前の自然崇拝に由来する土着の民間信仰がずっと生き残っていたためと言います。
著者はそういった告発者になった民衆たちにやや冷たい目線を投げかけていますが、中世ヨーロッパにおいては死が今よりもずっと身近にあったのです。高橋友子「母と子ども」(『中世ヨーロッパを生きる』所収)によると、当時の女性は17歳で結婚して、37歳までの間に平均して7〜10回の出産を経験し、生まれた子どものうち約45%が成人まで生き延びなかったということです。
魔女幻想は民間信仰や文化の問題であると共に身体感覚に密着した問題として見てもいいのではないか?というのが私の感想です。
引用元:
